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【もののけ姫、ドラクエを想わせるヤマトタケルの生涯】

先日、潮田神社のブログを書いた後、潮田神社がヤマトタケルの創建かもしれないという伝承を知り、無性にヤマトタケルについての記事を書きたい衝動にかられました。

そんなわけで今回はほぼ文章!

実際にいたかもわからないロマン溢れる古事記、日本書紀の英雄「ヤマトタケルの生涯」をお届けします!

「わからない=男のロマン」w

私なりに伝わりやすさを求めて解釈や言葉を変換していますのでご了承ください。

※今回は若干の違いはありますが、古事記をベースにブログにしています。

 

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ヤマトタケル - Wikipedia

 

ヤマトタケルの生涯!

出生は倭(やまと)、大和国であれば今の奈良県ですが、昔は日本そのものをヤマトとも言っていたそうなので詳細は不明。

生年月日も詳細は不明ですが、一世紀の生まれで、某神社さんのサイトでは西暦72年生まれとも書いてありました。

少年時代の名は「ヲウス」

兄の名は「オホウス」

父は景行天皇、母は謎、叔母はヤマトヒメ。

西征編 「暴れん坊期 南九州へ」

※ヤマトタケルの幼少期は「ヲウス」と表記します。

九州を西征と言っているので、やはり関西あたりの出身で間違いはなさそうです。

これから本題ですが、いきなり14、5歳の時、兄のオホウスを殺害のくだりから入ります!

そして殺害の仕方がヤバすぎる。

「夜明けに兄が厠(かわや)に入るのを待ち、捕まえて掴み潰して手足を引きちぎり、薦(こも)に包んで捨てた」

ヤバすぎますね。。

これを聞いた父はビビリまくり、追い払う口実に九州を支配していた「クマソタケル兄弟」の討伐を命じる。

父の真意を知らないヲウスは喜び勇み、母から御衣(みけし)と御裳(みも)と短剣を手に西へ進んだ。

御衣(みけし)御裳(みも)この当時の衣装。

長い旅の末に南九州に辿り着くとクマソタケル兄弟殺害計画を立てる。

宴が行われている最中に女装をして館に潜入!

麗しい姿のヲウスにクマソタケルがお酌を進め、盛り上がり良い感じに酔ったところで作戦実行!

まずは兄のクマソの胸をぐさり、逃げた弟タケルのお尻をグサリ。。

串刺しのままの弟タケルが名を尋ねると、

「私はヲウス、またの名をヤマトヲグナ」

と答え、弟タケルはその猛々しさを称え「ヤマトタケル」の名を与えたといいます。

この串刺し事件がきっかけでヤマトタケルが誕生!!

その名を与えてくれた恩もなく、会話ののち弟タケルをズッタズタに切り刻んだそうです。

ヤバすぎます。。

ここよりヲウス改めヤマトタケルで進めます。

 

西征編 「卑怯の極み、出雲へ」

クマソタケル兄弟を征伐したヤマトタケルは筑紫から出雲に移動。

そして出雲で猛々しさで有名だった「イズモタケル」と友達に!

そして水遊びで遊んでいるときに友情の証の「太刀の交換」を提案し、喜んだイズモタケルは承諾し太刀を交換します。

しかーーーし!

これがヤマトタケルの作戦!

ヤマトタケルが渡した太刀は偽物の太刀で、交換した後に試合?練習?のようなものを申し出ますが、イズモタケルは偽物の太刀で刀を抜くこともできない。

まんまと作戦は成功し、ヤマトタケルはイズモタケルを斬り殺します。

卑怯の極み。。

こののち大和に帰ることとなりました。

しかし!!

父はヤマトタケルにねぎらいの言葉もなくすぐに東征へ出発せよと命じます。

相当ヤマトタケルが怖かったのでしょうね。

それを聞いたヤマトタケルは意外にも落ち込んだそう。

「父は私に死ねとお思いだ」と叔母のヤマトヒメに悩みを打ち明ける。

すると叔母のヤマトヒメは困ったときに開けなさいと剣と袋を渡します。

これが後世にも語り継がれ熱田神宮にあるという「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」です。

 

東征編 「大人の階段上る、静岡へ」

草薙の剣をたずさえ伊勢、尾張を経て相武国(さがむのくに)でついにだまし討ちにあいます。

※場所は静岡県焼津とされています。

散々だまし討ちをしてきたヤマトタケルについに天罰!

今で言う県知事みたいな人?に「この国の悪い神を退治して欲しい」と頼まれ野に入ったところ県知事に火を放たれ大ピンチ!!

この窮地に叔母からもらった袋を開けると、出てきたのは火打ち石でした。

その名の通り草薙の剣で草を薙ぎ払い火打ち石で向かい火をつけ火をはね返し県知事を倒した!

今回はだまし討ちをはね返すという成長したヤマトタケルが誕生。

 

東征編 「妻との別れ、悲しみを知る神奈川へ」

さらに東に進んだヤマトタケルは走水(はしりみず神奈川県横須賀市)で大嵐にあいます!

すると突然ですがここで妻が登場!!

妻の名は「オトタチバナヒメ」

大嵐は海神の怒りだとし、鎮めるために妻が海に身を投げました。

いわゆる人柱 (ひとばしら)で、昔の話にはよく出てきます。

見事に嵐はおさまり、七日後、浜辺に妻オトタチバナヒメの櫛が見つかったそうです。

その後、東国(千葉県?)の蝦夷(えみし)を討伐しヤマトへ戻る途中の足柄の頂上で「吾妻はや(我が妻よ」」と叫び悲しんだ。

このことから当時は足柄山より東をアズマと呼んでいたようです。

 

大和へ帰郷「ヤマトタケル倒れ、白鳥になる」

足柄山を超え甲斐国(かいのくに)、科野国(しなののくに)を超え尾張国(おわりのくに)に辿り着く。

行きにこの地でミヤズヒメと出会い結婚をすることを約束していて、この帰り道にめでたく結婚。(オトタチバナヒメは??)

伊服岐(いふき)の山の神を討伐しに行きますが、ミヤズヒメに草薙の剣を預けていってしまいます。

旅の途中、白いイノシシと会いましたが、これを山の神の使いと考え、「帰るときに殺せばいい」と言って山を登ります。

しかしこのイノシシは使いではなく山の神そのものでした!

侮られたことに怒った山の神は大粒のヒョウをヤマトタケルに浴びせます。

ヒョウにやられ山の神を討伐することができなかったヤマトタケルは故郷の大和に向かう。

杖をつくほどに衰弱し、やっとの事で伊勢国(いせのくに)の能煩野(のぼの)にたどり着き、故郷を懐かしみ歌を詠みます。

「ヤマトは国のまほろば、たたなづくあをかき、山ごもれるヤマトしうるはし」

→ヤマトは素晴らしい国、連なる青垣の山々に囲まれたヤマトこそが美しいという意味。

この歌を詠むと容体が悪化し、ついに息絶えてしまいました。

訃報を聞いた親族が能煩野に来て葬儀を行うとヤマトタケルの魂が抜け出し、大きな白鳥となって天へと舞い上がりました。

そして故郷のヤマトを超え、河内国(かわちのくに)志磯にとどまる。

そこにお墓を作ろうとしましたが、魂がとどまり続けることはなく天に登っていったそうです。

 

総括

以上で私なりに古事記を読んでのヤマトタケルの生涯のブログとなります。

伝説の神なのでブログにするには勇気が必要でしたが、思い切って書かせていただきました。

この壮大なお話はもののけ姫、剣が出てくるあたりなんかはドラゴンクエストを想わせ、人間味があり非常に完成度の高い物語だと思います。

暴れまわる時期、成長する時期、そして故郷に思いを馳せながらも息絶え白鳥となって天に召す。

出来すぎたお話で英雄と呼ばれるわけがよくわかります。

古事記、日本書紀で違いは若干違いはありますが、お時間がありましたらぜひ古事記、日本書紀を読んでみてください。

今回は私の解釈も入れつつのご紹介となりました。

文章だらけとなりましたが、最後までご拝読ありがとうございました♪

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